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塩野七生さん「ローマ人の物語Ⅳ ユリウス・カエサル ルビコン以前」④文庫第10巻
ガリア戦役六年目
紀元前五三年は、前年の雪辱を果たすのに費やされました。前年、奸計にかけローマ兵九千を殺害したガリアのエブロネス族への復讐です。ただし、
「カエサル個人の辞書には、復讐という言葉はない。復讐とは、彼にすれば、復讐に燃える側もその対象にされる側も、同じ水準にいなければ成立不可能な感情なのである。」
「復讐してやる!」という感情を抱くということは、相手を同列に見ている、相手の実力を認めているということか。「復讐してやる!」と思っている間は甘っちょろくて、もっと成長せなアカンわけですね、自分が。
「しかし、兵士たちならば、同輩九千の死に復讐心を燃やすのこそ当然なのだ。ただし、それを活用する者は、燃えるよりも醒めていなければならなかった。なぜなら、感情とはしばしば、理性で必要とされる限界を越えてまで、暴走する性質をもっているからである。」
醒めた人の方になりたいな、でもすぐカッカする性分やからな~。
醒めた人であるカエサルは、兵士たちの復讐心を、ガリア北東部の完全制覇とライン以東に住むゲルマン人へ決定打を与えることに活用し、しっかり成果をあげました。
そしてカエサルははじめてドナウ河に言及します。ローマの防衛線はライン河とドナウ河とする考えがあったようです。
「ラインとドナウの両大河を視野に入れたカエサルによって、ヨーロッパの形成ははじまったのである。・・・(中略)・・・ユリウス・カエサルは、ヨーロッパを創作しようと考えたのである。そして、創作した。」
ヨーロッパの生みの親と言われるカエサル、スケールが大きすぎる。
「だが、キケロに代表される首都ローマの知識人たちは、これもカエサルの私利私欲の追求としか見なかった。先見性は必ずしも、知識や教養とはイコールにはならないのである。」
先見性って先天的なのか後天的なのか。後天的としたらどうやったら身に付けられるんかな?
ガリア戦役六年目の春と夏をこのように過ごしたカエサルは、冬の休戦期には属州に戻りました。しかしそこでローマ中を震撼させた大惨事について報告を受けます。それは三頭政治の一角を占めるクラッススの戦死でした。これまでほとんど軍務経験のないクラッススでしたが三頭政治の一角でもあることから総司令官として東方のパルティアに遠征していました。しかしです。
「総司令官に求められるのは、戦略的思考だけではない。待つのは死であるかもしれない戦場に、兵士たちを従えて行くことのできる人間的魅力であり人望である。これが、クラッススには完全に欠けていた。」
全然ダメなクラッススは結局最後までダメダメでした。
ローマの民衆だけでなく、カエサルもポンペイウスもクラッススの能力を疑っていたので、二人とも自分の配下の軍人の中から有能な人を選んでクラッススの補佐役として送り込んでいるんです。クラッススがボンクラでもなんとかなるようにしてやったんです。なのに、功を焦ったクラッススは補佐役の言うことを聞かなかったり、ローマ一の金持ちのクセに自腹を切るのを惜しんだり、自腹切った分は神殿の宝物を略奪させたり、戦闘初日の大敗に加え息子を殺されてしまい気落ちして何も手をうたないなどの失態を重ねたあげく大敗北を喫してしまいます。
「金持ちとは自腹を切るのは不得手な人種でもある。」
「金持ちとは、自分の財産が減るのが、何にもまして不愉快なのだろう。」
だから金持ちになれるんやわな。金持ちじゃなくても不愉快ですけど・・・。
クラッススだけでなくローマ兵四万のうち二万が戦死、一万が捕虜、一万だけが生き延びることができたという大敗北でした。
クラッススが死んだことはこの後のローマ社会に大きな影響をもたらすことになります。
ガリア戦役七年目
紀元前五二年は、歴史上有名な一年になりました。一人の有能な青年に率いられたガリアの諸部族が団結し、反ローマに立ち上がったものの、結局はカエサルに敗北。ガリア戦役に事実上の決着がつけられたました。
ガリアが団結したとは言うものの、周到な用意がなされたわけではなく、
「団結指向の希薄なガリア人だけに、偶然に起こった一つのことがきっかけになって、それが雪だるま式に大きくなった」結果でした。
フランス人二千年経っても変わらんな~。
前年に首領を極刑で殺されたカルヌテス族がその恨みを晴らすべく周辺部族を扇動します。その上で、同族の首都・現オルレアンに商用で滞在していた多数のローマ市民を殺害しました。興味深いのは、日の出の時刻に起こったこの殺戮事件がその日の夜9時には240キロも南に下った現オーヴェルニュ地方にまで伝わっていたということです。そしてそのオーヴェルニュには一人の有能な青年がいました。三十代半ばのヴェルチンジェトリックスです。それまでは親ローマ派だったオーヴェルニュ族でしたが、この事件を知るやヴェルチンジェトリックスはクーデターを起こし実権を掌握、そこから全ガリアに向けて反ローマに起つように呼びかけました。カルヌテス族をはじめ中部ガリアのほとんどがそれに呼応、瞬く間に反ローマ勢力が結集しました。カエサル対ヴェルチンジェトリックスという構図ができあがりました。「しかし、戦争では、主導権をにぎりつづけた側が勝つ。」ヴェルチンジェトリックスの意図を正確に読み取っていたカエサルは、オルレアンなどの町を征服し、難攻不落のブールジュをも陥落させます。さしものカエサルもブールジュ攻略には大変な苦労をしました。そうまでしてブールジュをおとしたのはガリアの団結が崩れることを期待してでした。ところがカエサルの期待は外れました。外れたどころか一段と結束力が強まりました。カエサルが唯一その才能を認めたガリア人だけにヴェルチンジェトリックスは言い逃れもせず各部族長を説得。「これには、ガリアの部族長たちも感動した。彼らは、敗北にも屈しないヴェルチンジェトリックスに、自分たちよりは優れた気力と洞察力と指導力を見たのである。」さらには、これまで参加していなかった部族からの参戦も増えていく始末。カエサル、ピンチ。
ここまで全戦全勝のカエサルでしたが、ここにきて打開策を打つ必要がでてきました。その手というのが、ヴェルチンジェトリックスの故国オーヴェルニュの首都ジェルゴヴィアの攻略でした。ところが実際にジェルゴヴィアに到着したカエサルは一望しただけでその攻略の困難を悟ります。さらにはこれまでずっと親ローマで、カエサルに兵糧と騎兵を提供してきたヘドゥイ族が敵側に鞍替えをする気配を見せます。カエサルはジェルゴヴィアからのひとまずの撤退を決めます。
「しかし、何もしないで退却したのでは、敵に利するだけだった。」
カエサルはジェルゴヴィアでひと暴れしておいてから撤退し、態勢を整えて次なる決戦に臨むつもりでした。戦闘が始まり、一応の戦果をあげたところでカエサルは撤退のラッパを鳴らしました。ところが、ローマ兵たちはそれを無視したのか聞こえなかったのか、とにかくカエサルの指示どうりに動かないという失態を犯してしまいます。おかげでガリア側の反撃にあい、ローマ軍は一時劣勢に立たされます。しかし「軍名とどろくカエサルの第十軍団」たちの活躍のおかげでなんとか危機を脱します。
「翌日、カエサルは全軍を集め、兵士たちを叱った。ただし、叱ったのであって怒ったのではない。カエサルは、怒るということを極度にしない男だった。」
さすが理で押すのが常のカエサル、どんな時でも冷静沈着。部下も納得するでしょうね。
その日以降は小競り合いを何度かしただけで結局カエサルはジェルゴヴィアから撤退しました。ただし、
「退却ではあったが敗走ではなかった。」
隊列を組み規律正しく撤退するローマ軍にヴェルチンジェトリックスは追撃を加えることもできませんでした。できないと同時にする必要もなかったからです。なぜならこの時点での勝者はヴェルチンジェトリックスだったからです。
「常勝将軍カエサルから、常勝の形用をはぎ取ったからだ。」
戦闘で勝ったわけではないけども撤退させたんやから一応勝ったわけか。カエサル自身は「負けた」と思っとったんやろか気になります。
このジェルゴヴィアからのカエサルの撤退はたちまち全ガリアに知れわたります。これまで静観していた部族からの参戦がさらに増えることになりました。ヘドゥイ族もこの期に及んで明確にガリア側に鞍替え。カエサル絶対絶命の大ピンチです。中部ガリアの地で四面楚歌のローマ兵五万弱。大軍に囲まれ兵糧補給もままならない。かりにローマ属州に無事に退却できたとしても、七年もの期間をかけ多くの犠牲を払ったガリア制覇失敗ともなればカエサルの政治生命は断たれます。ガリア側は急がなくても兵糧攻めの消耗作戦をすれば勝てる戦だったのです。ところがヴェルチンジェトリックスは過ちを犯します。この状況下でも「守りに徹するのを嫌った」カエサルは進路を南にとります。南はローマの属州のある方向。ヴェルチンジェトリックスはカエサルがガリアから撤退するとみて狂喜しました。これまで会戦は避けてきたヴェルチンジェトリックスなのに、ここではじめて撤退する(らしい)ローマ軍に会戦を挑みます。倍以上の兵力と圧倒的な騎兵力をもつガリア側はローマ軍を囲い込み壊滅させる作戦でしたが、「オーヴェルニュの若将は、連達のカエサルの敵ではなかったことを示してしまう。」ローマ軍の勝利でした。
敗れたヴェルチンジェトリックスは丘の上にある聖地アレシアに陣を構えます。
「あせれば人は、ごく自然に以前の成功例にすがりつくようになるものである。」
背後は山ではなく川という決定的な違いがあるものの、アレシアはジェルゴヴィアと地形が似ています。ジェルゴヴィアでの成功例にすがりついたわけですね。聖地と敬われているアレシアから呼びかければガリア中から援軍が集まるのも期待できるし。
ヴェルチンジェトリックスは手持ちの騎兵の大部分にそれぞれの出身部族に戻り援軍を集めるよう指示を出します。ということはアレシア残っているガリア兵はほとんどが歩兵ということです。ガリアの主戦力は伝統的に騎兵なのにです。ちなみに、ローマの主戦力は一貫して歩兵です。ローマの歩兵一人一人の戦闘力は他民族の歩兵の10倍に相当すると言われるほど強力な戦闘力をもつ歩兵です。
さて、ヴェルチンジェトリックスが陣を構えるアレシアに到着したカエサルですが、塩野さんはおそらくカエサルは町を一望しただけで勝てると思ったのだろうと推察しています。その後の準備に迷いがないからだそうです。
カエサルはガリア全土から援軍が来るだろうことを予測していました。アレシアの町というか丘というか全体をぐるっと取り囲むように防壁に囲まれた陣地を築きます。そしてその内側にも外側にも七層からなる防衛設備を作ります。五万のローマ兵が一か月かけて作った歴史上類を見ない堅固な防衛設備を築きました。
アレシアにこもる取り囲まれた形のガリア兵は八万。身動きが取れない中で援軍の到着を待ちます。そしてついにその援軍が到着します。それも二十五万の歩兵と八千の騎兵という大軍です。カエサルは五万弱で内側八万、外側二十六万という敵と対峙することになりました。
「戦闘も(オーケストラの)演奏に似て、長い準備の後の数時間で決まる。」
アレシア攻略の準備に一ケ月かけたカエサルでしたが、戦闘は実質三日で終わりました。ベテラン兵、有能な指揮官、かつ最高司令官はカエサル。ローマの完勝でした。
ヴェルチンジェトリックスは自分の身柄と引き換えにガリア兵の助命を申し出てカエサルに受け入れられます。ガリア戦記の中で「ヴェルチンジェトリックスは、自ら進んで捕らわれの身になった。」と記すのみです。
カエサルは政治的配慮もあったにせよ「自らが犠牲になることで同胞を救おうしたオーヴェルニュの若者の決意を尊重した」。
「オーヴェルニュの若者は、おそらくカエサルが、軍団長にでも欲しいと思った人材であったろう。しかし、歴史は、そのような逸材は、敵側にしかもてなかったという例で満ちている。」
ヴェルチンジェトリックスは、首都ローマに護送され六年後に処刑されました。
「生かしておいては危険すぎる、有能な人材であったのだ。」
八年におよぶガリア戦役の七年目が終わりました。この時点でカエサルは「ガリア戦記」を出版します。まだ完全には終わっていないのに何故か?アレシア攻防戦で実質的には終わったからです。八年目は戦後処理になります。それに、首都ローマの元老院では反カエサルの機運が高まっていました。民衆からの支持が地盤のカエサルです。
「支持を求める相手には、判断をくだせるだけの情報が与えられねばならなかった。」
ガリア戦記を出版することで民衆からの支持を期待したのでした。
しかしカエサルはカエサル。「叙述は正確を期した。自らの誤りも正直に記し、敵側の理由も公正に記述した。カエサルは、正確に書くことこそ自分の考えをより充分に理解してもらえる、最良の手段であると知っていたからである。意識的な嘘が一つでもあれば、読者は他のすべてを信用しなくなるからだ。」
「たとえ、一般市民の支持を求めることを目的にしたとしても、自らの文体を変えてまでそれを達成しようとはしなかった」
「カエサルは、理で進める彼の論法を、一般向けであろうと変えなかった。人間は、自らの性格に合ったやり方が、最もよくやれるのである。カエサルは、口述筆記するときもカエサルであったのだ。」
実力と自信がなきゃできないですよね。
ガリア戦役八年目
紀元前五一年は、戦後処理に費やされました。と言っても戦闘がなかったわけではなく、アレシア攻防戦後も反抗をやめない部族に対して攻撃します。カエサルの属州総督任期切れまで時間が迫っていたこともあり、かなり残忍なやり方も辞さなかったローマ軍はガリアの完全平定に成功します。
ところで、カエサルの筆による「ガリア戦記」はガリア戦役八年間のうちの最初の七年間分をカエサル自身が(口述)筆記して書かれました。前年その出版もなされました。では、この八年目はどうしたのか?実はカエサル自身はこの八年目については書いていません。この後ローマでは内乱が起こり、カエサルが勝利者になって半年もしないうちに暗殺されたからです。ガリア戦役八年目についてはカエサルの秘書官で側近であったヒルティウスが後年「嫌々ながら」書いたのです。人からの熱心な勧めに根負けしたヒルティウスが、「あんな偉大な人物が書いた、あんなすごい文章の続編なんて自分に書けるわけないし書きたくもない」と冒頭で言い訳しながら書いてくれたのです。おかげで後世の人々は往年のカエサルの姿・考えを知ることができるようになったのです。ヒルティウスさんありがとう。
完全平定したガリア、軍事上平定したら属州総督の仕事は終わり、ではもちろんありません。ポンペイウスがオリエントを平定した時も同じでしたが、属州総督にはその後の統治をどうするのかまで決める責任がありました。
各部族の指導者階級の子弟は人質という形ではあっても実際にはホームステイの留学生としてローマか南仏属州に送られました。そこでローマ貴族式の教育を受けさせ、ローマシンパにしようというのが目的で、これは昔からのローマのやり方です。賢いやり方ですね。アメリカもだから強かったのに。
後年ですが、終身独裁官になったカエサルはガリアの有力者には元老院の議席を与え、自分の家門名ユリウスも与えました。
これまでいつも反ローマの発火点だった祭司階級を温存させます。
各部族には自治権が認められます。
そして、一番大事な税制です。カエサルはローマ国内よりも低い税率を適用しました。重い負担に苦しんで反発されまた反乱を起こされては厄介ですからね。
このようにローマによる統治が始まったガリアですが、カエサルはほどなくガリアを離れます。そしてローマで内乱が始まります。ガリアにいたローマ兵は一人残らずガリアからいなくなります。にもかかわらずガリアは反ローマに再び立ち上がることはなかったのです。これ以降ずっと「ローマ化」の優等生であり続けます。ローマで内乱が起こるとポンペイウス・元老院はガリアが自分達側につくと期待していました、征服者カエサルには恨みがあるから自分達側につくだろうと。ところが実際にはカエサルにつきました。カエサルの統治方針が良かったんでしょうね。これもカエサルの先見性なのでしょう。
さて、文庫第九巻の中で塩野さんは読者に対し、カエサルがなぜ北伊・南仏・イリリアの三属州の総督になる自分の任期を初めから5年も望んだのか、そして「ガリア戦記」はまえがきもなく、いきなり本文から書き始めているのか考えるよう呼びかけていました。
それへの塩野さんの答えがここに書いてあります。
ガリア戦役のことの発端は、ライン河の東に住むゲルマンがラインを渡ってガリアにたびたび侵入し、それがためにヘルヴェティ族(現スイス人)が押し出される感じでガリアの西方に民族大移動をしようとしたことでした。ローマの属州内を通過することに安全保障上拒否を示した時点でカエサルはガリア全土に嵐が巻き起こると予測したのだろうと。そして、
「野心家のカエサルが待っていたのは、・・・(中略)・・・「ガリア戦役という創作」をする機会ではなかったか。ただし、国家ローマの将来に指針を与える「創作」を。」だからまえがきも書けなかったんだろうと。書いていたら「元老院派」から猛反発をくらっただろうし、「カエサルの先見性をもっていなかった同時代人からは理解されなかったであろう。」と。
カエサルは、ガリア内の騒動を利用して、子飼いの兵士を育て(軍)、経済基盤を手に入れ(金)、一般市民からの人気を不動のものにし(票)、それを新秩序=帝政樹立の足掛かりにしようと初めっから企んでいたというわけですね、八年も前に。どんだけ先見性あんねん!
紀元前五〇年の夏、カエサルはガリアを後にし、北伊属州総督の本営地ラヴェンナに入りました。
「ガリア戦役を終えたカエサルには、息つく間もなく次の闘いが待ちうけていたのである。だがそれは、ガリアでの戦役とはちがい、法律と言論を武器にしての闘いであった。」
ルビコン川を渡るまで

カエサル対元老院派の闘いです。今では広大な領土を支配することになったローマ。元老院主導の少数寡頭政治ではもはや統治不能と考えているカエサル。まだ明言はしていませんが、帝政に移行する必要性を感じています。一方、元老院派はあくまで今の元老院主導の統治体制こそ最良と考えています。カエサルは帝政への移行は、あくまでも現体制の中で実現させようと考えています。法律を犯すことなく、正当な手順を経て移行させるつもりでいるのです。力づくでしようとは思っていないわけです。元老院派はもちろんそれを阻止しようとします。あの手この手で妨害しようとするわけです。気持ちはわかります。今のままが良いと信じているわけですから。既得権益を守りたいんですから。元老院派には現実が見えていないわけですね。
カエサル対元老院派との闘いはガリア戦役継続中にも進行していました。カエサルはガリアで戦争しながら首都対策も同時に進行させていました、凄すぎる。少し前までカエサル・ポンペイウス・クラッススの実力者三人が牛耳っていた三頭政治。その一角のクラッススは紀元前五三年に戦死して今では二頭になっています。三本足は安定しますが、二本足では安定しません。元老院派はポンペイウスを自派に引き入れることを画策します。この当時元老院派にはカリスマ性のある人物がいませんでした。平民から支持される人物がいなかったのです。その点、ポンペイウスはカリスマ性抜群、市民からの人気もいまだ抜群、そして何より政治的野心のない、すなわち危険でないポンペイウスを利用しようとしたわけです。ポンペイウスも、三頭政治によってうまい思いをしたのは結局カエサルだけだったことに気付き始めていたのです。元老院派の画策はまんまと成功、カエサルとポンペイウスを離反させることに成功します。軍の総司令官としての経験も能力も十分なポンペイウスです、いざとなればポンペイウスが守ってくれるというのが元老院派の読みでした。
ポンペイウスを得た元老院派は次期執政官選挙にカエサルが立候補できないようにしようとしたり、ガリア戦役もまだ続行中だというのに、アレシア攻防戦で決着ついたのだからとカエサルを解任して帰国させようとしたり、カエサルから軍団を取り上げようとしたり、といろいろやってきます。カエサルもカエサルで二個軍団取り上げられたら新たに二個軍団徴兵したりして対抗します。
カエサルは法に従いローマから三日の距離のラヴェンナにいて、一個軍団だけを従えています(カエサル配下の他の軍団はこの時点ではまだガリアに駐屯しています)。カエサルは有能な青年クリオ、続いてアントニウスに首都での自分の代弁を託していました。このクリオというのが、元は元老院派のホープだった人物なんです。それをカエサルが手紙を書いて説得、さらには若かりし頃のカエサル以上に借金まみれだったのをカエサルが弁済してやりもして文字通り一本釣りした人物でした。
「元老院内には、スキャンダルだという声があふれた。クリオはカエサルに金で買われたと、強硬な「元老院派」は非難し、良心的な元老院議員たちまでが、この頃の若者の倫理の低さを嘆いた。しかし、人間誰でも金で買えるとは、自分自身も金で買われる可能性を内包する人のみが考えることである。非難とは、非難される側より避難する側を映し出すことが多い。」
誰でもとまでは言わんけど大概は買えると僕は思っています。だから案の定僕はわずかな金で簡単に買われる自信があります。政治家ならなおさらでしょう。与党議員じゃなきゃ大してうまい思いできなんだから、政治信念曲げてでも与党議員にならなきゃえらい思いして政治家になる意味ない(「えらい」とうのは三重弁でこの場合は「大変な」ぐらいの意味です)。
アントニウスの方は「シェークスピアの『アントニーとクレオパトラ』でも名を遺すことになる男」で、当時三十二歳です。
双方があらゆる法律を引っ張り出してきて闘われた闘争、カエサルは二度にわたって元老院派に譲歩します。しかし元老院派は引き下がりません。首都ローマでは年長者たちがマリウス対スッラの内戦の再来かと恐れ、恐怖がまん延しています。元老院派はカエサルが軍を率いて首都ローマに向けて進軍中などという嘘の報告までします。そしてポンペイウスに対して軍の編成権と指揮権を与え、カエサルに向って進軍するように要請します。え!これって要するに内戦の火ぶたを切ったのは元老院派側ってことですよね。カエサルはまだ進軍しているわけではないから偽情報をでっち上げたうえで内戦始めようとしたわけですね、元老院派が。
そして紀元前四九年一月七日を迎えます。一月一日にカエサルは三度目の譲歩をしますが、その譲歩案を握りつぶしておいてこの日、伝家の宝刀「元老院最終勧告」の発布を圧倒的多数で決議しました。かねてから元老院最終勧告の違法性を指摘していたカエサルがその対象にされたということです。これが発布されると、元老院(とポンペイウス)の指示に従わない者は国賊とされ裁判なしでの死刑が運命となります。
「敵側も認めるカエサルの首尾一貫した態度から、カエサルが「元老院最終勧告」に従わないであろうことは、「元老院派」も予想していた。従わなければ国賊と見なされ、その国賊に従う軍団も反乱軍となり、これにポンペイウスが率いるローマ正規軍が襲いかかってすべてを解決してくれる。これが、「元老院派」の読みであったのだ。」
元老院派さ、もうダサ過ぎ。ポンペイウス頼みやん。それにポンペイウスがオリエントで華々しく活躍したのいつの話やねん。ポンペイウス直属やった兵士たちも土地もらって農民になってどんだけ時間経っとると思ってんの!十三年やで。カエサルもその兵士たちもついこの前までガリアで戦いまくっとった現役バリバリのベテラン揃いやで。
おまけに、元老院派もポンペイウスも発布が現代でいう12月初旬やったことからカエサルが動けるのも春になってからだろうと油断しとったっちゅうんやから呆れます。
しかしです、カエサルも悩むんです。カエサルは子供の頃に一回目の内戦を目の当たりにしました。伯父が別の伯父を殺したのです。ついで二回目の内戦では、当時十八歳だったカエサル自身がまだ何もしていないにもかかわらず危うく殺されかけたのです。内戦のもたらす負の影響をわかっていたのです。
「内戦の悲惨とは、その犠牲になって死んだ人の数ではない。犠牲にされたことで生まれる、恨み、怨念、憎悪は、後々まで尾を引いて容易には消え失せないことになる。それがどれほど共同体にとって不利益になるか」を考えて悩んでいたんです。さらに、
「カエサルの態度の明快さと直截な表現力とガリアでの華々しい戦績は、首都ローマの若者の多くを魅了していた。」元老院議員の息子たちのほとんどがカエサルの元に馳せ参じたいと公言するようになっていたのです。
「家庭騒動であるうちはまだ喜劇だが、カエサルがルビコンを渡ったとたんに、それは悲劇に変わるのだった。」そりゃ悩むよね、カエサルも。
「しかし、カエサルは生涯、自分の考えに忠実に生きることを自らに課した男でもある。それは、ローマの国体の改造であり、ローマ世界の新秩序の樹立であった。ルビコンを越えなければ、「元老院最終勧告」に屈して軍団を手離せば、内戦は回避されるだろうが新秩序の樹立は夢に終わる。それでは、これまでの五十年を生きてきた甲斐がない。甲斐のない人生を生きたと認めさせられるのでは、彼の誇りが許さなかった。しかも、名誉はすでに汚されていた。まるでガリア戦役などなかったとでもいうふうに、「元老院最終勧告」に服さなければ共同体の敵、国家の敵、国賊と見なすと宣告されたことで、すでに充分に汚されていたのである。」
甲斐のない五十年か、突き刺さるな~。エライ差(この場合のエライは「かなりの」って感じです)。
ここで一人の男が紹介されます。「神君カエサルを最初に裏切った」ラビエヌスです。
「(カエサル著)『内乱記』は『ガリア戦記』とちがい、全編を通して流れる主調音は、敵に対するカエサルの軽蔑である。憎悪も怨念も復讐心も、自分は相手よりは優れていると思えば超越できる。憎悪や怨念や復讐心は、軽蔑に席をゆずる。このカエサルが、唯一軽蔑したいと思いながらもできなかった相手が、ラビエヌスではなかったか。」
「内乱記」の中でラビエヌスに言及している箇所は多くありません。
「だが、なぜその一行を、そこにわざわざ入れねばならなかったのか。なぜ、かたくななまでにカエサルに反抗をつづけるラビエヌスを、そこで登場させねばならなかったのか。しかも、そうすることによって、何にせよ気がすんだ、という感じを行間に漂わせながら。」
カエサルの副将としてガリア戦役を戦い抜き、カエサルの信任最も厚かった武人ラビエヌス。ポンペイウスの領土出身の平民であったことから元はポンペイウスと縁故関係にありました。が、十三年前にラビエヌスが護民官であった頃からカエサルとの二人三脚が始まりました。そのラビエヌスをポンペイウスが縁故関係を盾に自派に引き入れようとしていたのです。ポンペイウスにしてみれば有能な副将を得られるとともに、カエサルに大きな痛手を与えられることになるからです。この縁故関係はローマ社会ではとても大切にされていた関係です。ラビエヌスは生まれ持ってのポンペイウスとの関係をとるか、後天的なカエサルとの関係をとるかの板挟みになってしまったわけです。苦しかったでしょうね。
さて、自分に向けて「元老院最終勧告」が発布されたカエサルは手元にいた第十三軍団の兵士たちを集め、自分の名誉と尊厳を守ってくれるように訴えました。「自分の」名誉と尊厳を守ってくれと訴えるなんてようするわ。同意の意志を示した兵士たちを従えたカエサル。紀元前四九年一月十二日の朝を迎えます。ローマ本国との境界線であるルビコン川を前にしばらく無言で立ちつくした後、幕僚・兵士たちに向って
「ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅」
「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」と大声で叫びルビコン川を渡りました。カエサルの遺した有名な言葉はここで発せられたわけです。後戻りできない重大な決心をすることを「ルビコンを渡る」と言いますが、これもこの故事にちなんでいます。
この瞬間、カエサルもその兵士たちも皆が反乱軍、国賊となりました。内乱の始まりです。
そしてカエサルがルビコン川(イタリア半島の東側(アドリア海側))を渡った五日後、西側(ティレニア海側)でラビエヌスが国境を越えました。ポンペイウスの元に馳せ参じるためでした。
ラビエヌスはカエサルがルビコン川を渡るまで待ったのです。さらに、
「ポンペイウスや元老院の期待を裏切って、カエサル下の兵士たちの切り崩しなどはいっさいやらず、息子と従者奴隷だけを連れて離脱したのだった。荷物から何から置き去りにしてであったというから、まったくの身一つでの離反であったのだ。」
「副将の離反を知ったカエサルは、ラビエヌスが置いていった荷のすべてを、彼あてに送るよう命じた。これが、十三年来の同志の離反に際し、カエサルがやった唯一のことだった。」
どっちも痺れる!
内戦の結果はわかっていてもどう展開していくのか気になって仕方ないです、楽しみ。